1935年10月9日鹿児島県大口市で教師の4男として生まれる。その後父の出身地大分県坂ノ市町で育ち国民学校4年生で終戦を迎える。軍国少年も新しい憲法の学習で民主主義を身につける(写真は、一家10人の大家族。本人は前右から3人目)。
1960年松下電器労組十三支部書記長(専従)となり、労働者のくらしの権利を守る活動家に。歴史的な60年安保闘争では、東淀川区安保反対共闘会議幹事として活躍しました。このたたかいのなかで社会進歩の党日本共産党に入党しました。(写真1960.1月組合事務所で。若干25才。)
1970年7月、大阪市会議員補欠選挙(東淀川区)に立候補し、自民党・社会党を破って初当選しました。当時の日本共産党市議団は未だ7人でした。
市会議員10期35年、この間市議団政調会長、幹事長、団長をつとめ中馬・大島・西尾・磯村・関の5人の市長と論戦。市民の要求にもとづく質問、大型開発・同和行政の追及はめっぽう鋭く市議会を代表する論客でした。(写真、‘95年3月予算審議の市会本会議)
職場の労働者の要求や人権をしっかり支えて、どこへでも走るのが姫野さん。「働く者こそ社会進歩の推進者です。力を合わせて頑張ろう」がいつも出てくる語り調子です。(写真 ‘99年8月関西電力の人権問題で交渉)
姫野 浄は「いまこそ憲法9条を生かし日本は平和の役割を果たそう」とよびかけ、原水禁など平和運動の先頭にたってきました。(写真98年9月 ニューヨーク国連本部のモニュメント前)
2005年11月の大阪市長選挙に出馬、2007年11月の同選挙にも再び立候補し、「大型開発のムダ使いと乱脈な同和行政を一掃し、住民主役の市政に」と訴え抜き、市政の転換へ大きな役割を果たしました。(07年11月 大阪市長選挙)
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